会社名:ウーズレー・エンジニアリング社
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「ウーズレー」の記事における「会社名:ウーズレー・エンジニアリング社」の解説
ウーズレー・エンジニアリング社の工場長だった30歳のハーバート・オースチンは「インターナル・コンバスチョン・エンジン(内燃機関)」と自動車に興味があった。以前パリでみたことのあったレオン・ボレの設計を改良した車を1895年の冬から96年にかけて製作した。のちレオン・ボレの設計はすでに他の英国の会社に購入されしまいハーバート・オースチンに選択の余地はなく自分自身の設計でつくらざるを得なくなった。ウーズレー・オートカー第1号となった車は、前輪一輪後輪二輪の三輪車で独立懸架リアサスペンション、エンジンはシート下に置かれた。大人2人が背中合わせで乗車できた。110ポンドで販売されたが売れなかった。車の購入希望者は4人乗車を好んだのだ。 1899年、会社の創業者であるウーズレーが亡くなる。このころウーズレー社の自動車部門ではオースチン設計の4座の自動車を作るようになっていた。水平単気筒エンジン、ラップアラウンド・ラジエター・チューブ、後輪車軸をチェーンで駆動した。この車は1900年の春におこなわれた1000マイル・トライアル・レースに出場し、同クラスで優勝。このレプリカが270ポンドで市販されウーズレー初の生産車となった。
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