会戦まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 06:08 UTC 版)
ヘレスポントスの戦いにおいてエウメネスは勝利を得るも、それに前後して彼の後ろ盾であったペルディッカスが暗殺され、エウメネスは勢力基盤を失った。さらに彼はペルディッカス派であったかどにより紀元前321年のトリパラディソスの軍会に際して庇う者なく死を宣告され、ペルディッカス派討伐の任を受けたアンティゴノスと戦った。しかし、他のペルディッカス派との連携の失敗、味方の裏切りなどにより追い詰められて彼はカッパドキアのノラに包囲された。 紀元前319年、摂政アンティパトロスが死に、その地位は老将ポリュペルコンが引き継いだ。しかし、自分こそが父の地位を引き継ぐものと思っていたアンティパトロスの子カッサンドロスはアンティゴノスらと共にポリュペルコンへの対決姿勢を見せた。それに対し、ポリュペルコンはエウメネスと結び、それに対抗しようとした。ポリュペルコンの助力を得たエウメネスはノラを脱出し、息を吹き返した。また、アレクサンドロス3世(大王)の遺児アレクサンドロス4世王を奉じていた大王の母オリュンピアスの支持も得たエウメネスは王からの命を受け、精鋭歩兵部隊銀楯隊を含む軍団を掌握した。こうして再びエウメネスはアンティゴノスと矛を交えた。
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