伊場遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/13 17:29 UTC 版)
太平洋戦争中、連合国軍の砲弾が落ちて空いた大穴から、1949年(昭和24年)に土器が発見され、調査の結果弥生時代の環濠集落遺跡であることが判明、3重の環濠跡や墓・銅製鏃・木製農具なども出土した。 1954年(昭和29年)に県の史跡に指定されたが、1973年(昭和48年)に指定解除された。なお1974年(昭和49年)に、この史跡指定解除処分について取消しを求める行政訴訟が学術研究者らにより提起されたが、最高裁で棄却された(最高裁平成元(1989)年6月20日第三小法廷判決)。 遺跡はその後も調査が続けられ、弥生の環濠集落だけでなく、古代敷知郡の郡衙と栗原駅家と考えられる官衙遺構を含む複合遺跡であることが解ってきている。 詳細は「伊場遺跡」を参照 詳細は「伊場遺跡訴訟」を参照
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