任期中の急逝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 06:37 UTC 版)
2007年5月1日、定期健康診断のため訪れていたニューヨークで入院。19日にはセントルシアに戻り、6月上旬には内閣改造を行った。この際、それまで兼任していた蔵相をスティーブンソン・キング首相代理に引き継いでいる。7月11日には他の閣僚らとの会議にも出席した。 しかし7月下旬、2007年末までに辞任することを表明。8月26日にはカストリーズのタピオン病院で肺炎による感染症で呼吸困難が発生していることがわかった。9月1日に肺炎治療のためマルティニークに渡ったが、病気は悪化し、人工呼吸器が必要な状態に陥る。4日、医師が「回復は絶望的」と判断したため、5日に再びセントルシアに戻り、7日にタピオン病院で息を引き取った。首相代理のスティーブンソン・キングは、8日から2週間に渡って追悼の期間とすることを宣言した。 コンプトンの国葬は、9月18日にカストリーズで行われた。翌19日に火葬が行われ、生前の希望により灰は彼の地元の川に流された。
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