代々木時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 03:49 UTC 版)
「日本女子体育専門学校 (旧制)」の記事における「代々木時代」の解説
代々木の体操塾は、4つの建物で構成されていた。うち2棟は借家で、この2棟の間に四畳半3間の新棟を建設した。また庭には雨中体操場(体育館)兼寄宿舎とするための新棟を建設した。4棟合わせて120畳ほどあり、電灯28基を設置していた。寄宿舎は4部屋あり、教室としても利用された。中でも21畳の大部屋は、学科教室、講堂、体育館、音楽室、自習室、食堂、寝室と7種の用途があったことから「七面鳥のお部屋」と呼ばれた 塾舎の前後に庭があり、表の庭(20余坪≒70 m2)を運動場に、裏庭(4坪≒13 m2)を物干し場に充てていた。トクヨは資金難ながら体操器具だけは揃えようと考え、肋木・上下棒・跳び箱などスウェーデン体操の器具を購入し、運動場に所狭しと器具を置いたが、収納スペースはなく雨ざらしにせざるを得なかった。運動場の不足を補うため、代々木練兵場を「黙認」の形で使わせてもらっていた。 1923年(大正12年)に体操塾を訪問した宮城県の新聞記者は、建物は普通の民家でここに75人もの生徒が学んでいるとは思えないほど小さいと記した。
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