仁科芳雄 「原爆を作ろうとした物理学者」がみたもの
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仁科芳雄「原爆を作ろうとした物理学者」がみたもの | ||
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著者 | 上山明博 | |
発行日 | 2025年5月15日 | |
発行元 | 青土社 | |
ジャンル | ノンフィクション、記録文学 | |
国 | ![]() |
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言語 | 日本語 | |
形態 | ソフトカバー | |
ページ数 | 262 | |
公式サイト | 公式ホームページ | |
コード | ISBN 978-4-7917-7711-2 | |
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『仁科芳雄 「原爆を作ろうとした物理学者」がみたもの』(にしなよしお げんばくをつくろうとしたぶつりがくしゃがみたもの)は、ノンフィクション作家の上山明博が6年余りかけて取材執筆した、仁科芳雄の書き下ろし評伝である[1]。
当初、プロローグ(導入部)が、川村湊 編纂の『原発よ、安らかに眠り給え』(コールサック社、2024年)で発表され[2]、翌年の広島・長崎への原爆投下80周年に『仁科芳雄──「原爆を作ろうとした物理学者」がみたもの』(青土社、2025年)と題して上梓。
「日本の現代物理学の父」と呼ばれる仁科芳雄の、語られることのないもう一つの側面、太平洋戦争中に日本の原子爆弾開発「ニ号研究」の主導者としての仁科芳雄に焦点を当て、戦後「核廃絶と戦争放棄」を訴えた彼の60年におよぶ激動の生涯と、その遺志を受け継いだ高弟の湯川秀樹や朝永振一郎らの主張を詳述し、仁科の活動とその思想の全貌を明らかにした[3]。
概要
アメリカ軍は日本政府が降伏文書に調印したわずか5日後の1945年9月7日、原子爆弾調査団をいち早く日本に送り込んだ。目的は、太平洋戦争中に日本は原子爆弾を独自に開発していた可能性があり、開発していたとすれば、それは誰が、どのような方法で、どの段階まで進んでいたかを調査することにあった。
本書の大きな目的は、まさにこの原子爆弾調査員の任務と一致する。大戦下の資源と人材に限りのある日本で、本当に原子爆弾の開発がおこなわれていたのか。そして、もし秘密裏に開発がおこなわれていたのなら、それはいつ、誰が、どのような方ではじめたのか。この本の狙いは世界から孤立した戦時下の日本における原子爆弾開発の実態を明らかにすることにある。
著者は、アメリカ公文書館に収蔵される『原子爆弾調査報告書』を探索する一方、国立国会図書館の憲政資料室収蔵文書や理化学研究所記念史料室を訪れて関連文書を入手し、仁科芳雄が主導した日本の原爆開発「ニ号研究」の端緒とその全容を追った。
日本人初のノーベル賞受賞者の湯川秀樹をして「絶対悪」と言わしめた原子爆弾の誕生から80年の歳月を経た2025年、人類と原子力の歴史の原点に立ち返り、現代物理学の黎明期に原子爆弾の開発にみずから進んで取り組んだ世界と日本の科学者たちの足跡と心の葛藤を明らかにした[4]。
目次
- プロローグ アメリカの疑念
- 原子爆弾調査団
- 尋問すべき日本人
- ファーマン少佐とモリソン博士
- 仁科博士に関する調査報告
- 第一章 欧州へ留学
- 仁科芳雄の生い立ち
- 迷った末の進路選択
- 量子論の誕生
- 憧れの教授の下へ
- クライン=仁科の公式
- 第二章 現代の錬金術
- ハイゼンベルクとディラックの来日
- 仁科の下に参集した湯川と朝永
- 最年少の主任研究員
- 世界で二番目のサイクロトロン
- 第三章 核分裂から原子爆弾へ
- 核分裂の発見
- ウラン核分裂生成物
- 五年越しの大サイクロトロン
- サイクロトロンにノーベル賞
- ウラン諮問委員会
- 第四章 日本の原子爆弾計画
- 日本の原子爆弾計画の原点
- 真珠湾攻撃と新兵器
- 火薬一万八〇〇〇トンに相当
- 仁科の名を冠した「ニ号研究」
- 届かなかったドイツのウラン
- 第五章 マンハッタン計画
- シラードとアインシュタイン
- フェルミとオッペンハイマー
- 暫定委員会とフランクレポート
- トルーマンの一〇〇万人神話
- 第六章 原子爆弾の威力
- 一九四五年八月六日の広島
- 米国大統領のラジオ声明
- 玉木への置き手紙
- 火薬「二万トン」と「一万八〇〇〇トン」
- 「残念ながら原子爆弾に間違いありません」
- 核開発から核廃絶へ
- 第七章 原子爆弾調査団の来日
- モリソンによる仁科への尋問
- テニアン島から届いた手紙
- 日本の原子爆弾計画最終報告
- 予算確保と兵役逃れ
- 第八章 サイクロトロン破壊事件
- コンプトン調査団の勧告
- ワシントンからの指令電報
- 仁科と米国科学者の抗議
- アメリカ軍上層部の対応
- 被爆国から原発大国へ
- 第九章 仁科の死
- 理研の解体と再生
- 日本人初のノーベル賞
- 湯川の中間子の証明
- 仁科の死と病理解剖
- 第十章 衣鉢を継ぐ者
- 戦争の放棄と核の廃絶
- ソ連の核保有と核の国際管理
- ラッセル=アインシュタイン宣言
- 湯川・朝永宣言
- 核の軍事利用と平和利用
- ウランとプルトニウム
- エピローグ 命とひきかえに
- 広島と長崎の被爆の実相
- 爆風と熱線と放射線
- 原爆映画の監修
- 押収された原爆映画
- 被害者と加害者の立場を越えて
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あとがき 原爆開発と世界平和のあいだで
- 仁科芳雄年譜
- 参考ならびに引用文献[5]
書誌事項
参考文献
- 新聞書評「戦争に翻弄された科学者 仁科芳雄」『日本経済新聞』2025年6月7日[7]
- 新聞書評『仁科芳雄─「原爆を作ろうとした物理学者」がみたもの』「原爆に挑んだ科学者の心の葛藤」評者=横山裕道(元毎日新聞論説委員/日本科学技術ジャーナリスト会議理事)『環境新聞』2025年6月25日[8]
- 機関紙書評『仁科芳雄─「原爆を作ろうとした物理学者」がみたもの』『原子力資料情報室通信 第613号』資料紹介|原子力資料情報室、2025年7月1日
参考資料
- 「核廃絶─仁科芳雄博士がめざしたもの」講師=上山明博(ノンフィクション作家)、原水爆禁止2025 年世界大会科学者集会「学術の軍事化と核廃絶」、開催日時=2025年8月3日13:40~14:40、主催=日本科学者会議(原水爆禁止2025 年世界大会科学者集会実行委員会)[9]
脚注
出典
- ^ 図書|国立国会図書館書誌情報参照。
- ^ 図書|国立国会図書館書誌情報参照。
- ^ 国立情報学研究所学術情報CiNii参照。
- ^ 青土社書誌情報参照。
- ^ 『仁科芳雄』目次より。
- ^ 『仁科芳雄』奥付より。
- ^ 読書|日本経済新聞2025年6月7日参照。
- ^ 地球を見つめ直す|環境新聞2025年6月25日参照。
- ^ 日本科学者会議(JSA)イベント情報2025年8月3日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 仁科芳雄 「原爆を作ろうとした物理学者」がみたもののページへのリンク