人物の特定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 06:18 UTC 版)
甲斐国では郡内領主で武田家中においては譜代家老衆の小山田氏がいるが、虎満は別系統の石田小山田氏と称される一族で、石田(甲府市)の地に所領があったため小山田姓を名乗り、「石田の小山田」と称されたという。 父は小山田備中守(諱不明、後述の平林説では「古備中」)という人物で、代々、備中守という受領名を世襲していたようである。この人物は天文9年(1540年)に海津城を降した際に板垣信方らと共に城代に名を連ね、村上義清の反撃を撃退するのに功があったが、天文21年(1552年)の信濃地蔵峠の戦いで戦死したとする。 虎満の初名は不明ながら、もとは上原伊賀守を名乗っており、『軍鑑』では70騎を指揮していたという。虎満の当初の名乗りが「上原伊賀守」であったことは1967年に平林富三により指摘された。平林は備中守家の系譜を、古備中 - 昌辰(上原伊賀守)- 昌行の三代とした。他方で黒田基樹は、2002年・2003年の研究により備中守家の諱が虎満(玄怡、古備中)- 昌成であることを指摘し、二代とした。
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