京都中央信用金庫立てこもり事件とは? わかりやすく解説

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京都中央信用金庫立てこもり事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/27 14:00 UTC 版)

京都中央信用金庫立てこもり事件
場所 日本京都府京都市下京区四条通室町東入函谷鉾町91番地(京都中央信用金庫本店)[1]
日付 2002年平成14年)12月26日 - 12月27日[2] (UTC+9)
概要 男が京都中央信用金庫に侵入し、職員4人を人質にして立てこもった[1]。その後、説得を受けて人質を次々と解放した末に自らも投降した[2]
攻撃側人数 1人
武器 拳銃
犯人 徳田衛一(当時60歳)[1]
容疑 人質強要行為処罰法違反・銃刀法違反
動機 京都中央信用金庫の融資に関する警察や司法への不満
対処 徳田を京都府警察現行犯逮捕京都地方検察庁起訴[3][4]
刑事訴訟 懲役9年(第一審判決最高裁上告棄却決定により確定[5][6]
管轄
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京都中央信用金庫立てこもり事件(きょうとちゅうおうしんようきんこ たてこもりじけん)とは、信用金庫と融資トラブルをめぐって発生した人質立て籠もり事件。

事件の概要

2002年平成14年)12月26日午前10時ごろ、京都中央信用金庫の本店に拳銃2丁を所持した徳田衛一(当時60歳)が押し入り「理事長に会わせろ[注釈 1]」と京都中央信用金庫の職員4人を人質にとり立てこもった[1]。立てこもり事件発生を受けて京都府警察は本部に100人態勢の指揮本部を設置し、大阪府警察特殊部隊 (SAT) の出動を要請した[7]

人質は男性行員3人と女性行員1人だったが、午後4時40分ごろ(発生から約6時間半)に女性行員1人、午後10時半ごろ(発生から約12時間半)に男性行員1人が解放されたが、融資の担当であった債券管理部の部長と課長の2人は残された[8]

発生から14時間が経過した12月27日午前2時30分ごろ、警察官や自身が経営していた不動産会社の元従業員らの説得に応じるかたちで残る2人を解放し、自身も投降した[2]。これを受けて京都府警察は徳田を人質強要行為処罰法違反と銃刀法違反で現行犯逮捕した[2]

徳田は事件前に自身の犯行声明としてビデオテープ3本を報道機関あてに残している[7]。ビデオテープの中で徳田は「私はこの凶器、弾薬を的確にコントロールする技術と能力を持って、正規の金融機関に押し入り、私を陥れた犯罪者をこの手でとらえ、処罰を加える」と京都中央信用金庫をターゲットとした犯行を予告していた[9]関西テレビ放送はビデオテープを入手した後、犯行予告の内容を報道したが、徳田は関西テレビ放送に電話をかけて犯行動機などを主張した[9]。その後、読売新聞大阪本社にも電話をかけている[9]

2003年(平成15年)1月17日京都地検は徳田を人質強要行為処罰法違反と銃刀法違反の罪で起訴した[10]

刑事裁判

第一審・京都地裁

2003年(平成15年)3月17日京都地裁(竹田隆裁判長)で初公判が開かれ、罪状認否で「あらかた間違いありません」と述べて起訴事実を概ね認めた[11]。同日の公判で犯行動機について「(融資のトラブルについて)検察庁や警察に訴えたが、人手不足や民事不介入を理由に門前払いされた。悪や不正行為から国民を守ろうとしなかったことへの抗議だ」と述べた[11]

2003年(平成15年)12月3日、論告求刑公判が開かれ、検察側は「私的な恨みを晴らすための身勝手な犯行」として徳田に懲役12年を求刑した[12]

2003年(平成15年)12月15日、最終弁論が開かれ、弁護側は京都中央信用金庫の不適切な対応や捜査機関の怠慢などを理由に情状酌量を求めて結審した[13]

2004年(平成16年)2月13日、京都地裁(氷室眞裁判長)で判決公判が開かれ「死傷者を多数生じさせかねない危険で悪質な犯行」として徳田に懲役9年の判決を言い渡した[14]。被告側は判決を不服として控訴した[15]

控訴審・大阪高裁

2005年(平成17年)1月11日大阪高裁(白井万久裁判長)は「社会的影響は無視できず、刑事責任は重い」として一審・京都地裁の懲役9年の判決を支持、控訴を棄却した[16]

上告審・最高裁第一小法廷

2005年(平成17年)4月6日最高裁第一小法廷横尾和子裁判長)は上告を棄却する決定を出したため、懲役9年の判決が確定した[17]

判決確定後

現在は刑期を終えて出所しており、2014年ごろから個人ブログやTwitter(現・X)などで獄中生活や犯行の動機などについて発信している。獄中で事件に関する『週刊新潮』の報道が事実と異なっているとして、裁判に勝訴し慰謝料を得ている。

脚注

注釈

  1. ^ 当時の理事長は布垣豊であるが、まだ就任半年ほどであった。

出典

  1. ^ a b c d 朝日新聞』2002年12月26日 夕刊 1社会11頁「男、笑み浮かべ窓から姿 京都信金人質ろう城事件 【大阪】」(朝日新聞大阪本社
  2. ^ a b c d 読売新聞』2002年12月27日 全国版 大阪夕刊 夕一面1頁「京都のろう城男が投降、逮捕 信金人質を救出 16時間半ぶり解決」(読売新聞大阪本社
  3. ^ 毎日新聞』2002年12月27日 東京夕刊 1面1頁「京都信金立てこもり 16時間半ぶり投降、男を逮捕 人質は無事保護--京都府警」(毎日新聞東京本社
  4. ^ 『毎日新聞』2003年1月18日 大阪朝刊 社会面27頁「京都中央信金本店立てこもり事件 元不動産会社社長を起訴--京都地検」(毎日新聞大阪本社
  5. ^ 『朝日新聞』2004年2月14日 朝刊 2社会30頁「信金立てこもり、懲役9年の判決 京都地裁【大阪】」(朝日新聞大阪本社)
  6. ^ 『毎日新聞』2005年4月9日 大阪朝刊 社会面25頁「京都中央信金立てこもり事件:被告の上告を棄却--最高裁」(毎日新聞大阪本社)
  7. ^ a b 『毎日新聞』2002年12月27日 大阪朝刊 社会面23頁「京都中央信用金庫本店立てこもり事件 予告ビデオで犯行声明 銃と弾丸見せつけ」(毎日新聞大阪本社)
  8. ^ 『朝日新聞』2002年12月27日 朝刊 1総合1頁「人質女性ら2人解放 2職員なお店内に 京都の信金ろう城【大阪】」(朝日新聞大阪本社)
  9. ^ a b c 『読売新聞』2002年12月27日 全国版 大阪朝刊 一面1頁「京都中央信金、ろう城続く 予告ビデオなど周到計画 人質は2人解放」(読売新聞大阪本社)
  10. ^ 『朝日新聞』2003年1月18日 朝刊 2社会30頁「京都の中央信金立てこもり事件で起訴【大阪】」(朝日新聞大阪本社)
  11. ^ a b 『読売新聞』2003年3月18日 京都 大阪朝刊 山城31頁「京都中央信金立てこもり事件 被告、起訴事実ほぼ認める 地裁で初公判=京都」(読売新聞大阪本社)
  12. ^ 『読売新聞』2003年12月3日 全国版 大阪夕刊 夕2社14頁「信金立てこもり事件 被告に懲役12年を求刑/京都地裁」(読売新聞大阪本社)
  13. ^ 『読売新聞』2003年12月16日 京都 大阪朝刊 山城35頁「京都中央信金立てこもり事件 弁護側が酌量求める 地裁公判=京都」(読売新聞大阪本社)
  14. ^ 『読売新聞』2004年2月14日 全国版 大阪朝刊 社会39頁「信金ろう城男、懲役9年の判決/京都地裁」(読売新聞大阪本社)
  15. ^ 『読売新聞』2004年2月17日 全国版 大阪朝刊 2社34頁「京都の信金立てこもり事件 被告側が控訴/大阪高裁」(読売新聞大阪本社)
  16. ^ 『朝日新聞』2005年1月11日 夕刊 2社会10頁「被告の控訴を棄却 京都・信金立てこもり事件【大阪】」(朝日新聞大阪本社)
  17. ^ 『読売新聞』2005年4月9日 全国版 大阪朝刊 2社38頁「京都の信金ろう城事件 懲役9年確定へ 最高裁が上告棄却」(読売新聞大阪本社)



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