京都パープルサンガ時代
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1シーズン目から中盤の控えとして出場機会があったが、京都がJ2に降格した2シーズン目から、朴のその活躍ぶりは顕著になる。主にボランチのポジションで38試合に出場、3得点を挙げ、メキメキと頭角を現しだし京都のJ1昇格に貢献。J1昇格後はウィングにコンバートされ松井大輔、黒部光昭と3トップを形成した。2001年にJ2に降格したが残留し、韓国代表に招集されてもできる限り断ってチームに残るなど献身的な姿を見せている。怪我を押して出場した第82回天皇杯の決勝でも朴は同点ゴールを決め、京都の逆転優勝に貢献した。同時に韓国A代表でも徐々にレギュラーとしての地位を確立する。在籍中は大阪経済法科大学に在学し、日本語を流暢に話せるようになるまで学習するなど日本を好きになる努力も見せた。
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