井上大助_(俳優)とは? わかりやすく解説

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井上大助 (俳優)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/26 23:08 UTC 版)

いのうえ だいすけ
井上 大助
本名 入村 直一
別名義 井上 大介
生年月日 (1935-05-20) 1935年5月20日
没年月日 (1977-08-12) 1977年8月12日(42歳没)
出生地 日本東京府東京市京橋区
ジャンル 俳優
活動期間 1950年 - 1972年
活動内容 映画テレビドラマ
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井上 大助 いのうえ だいすけ[1]1935年5月20日 - 1977年8月12日[2][3])は、日本俳優東京市京橋区[2](現:東京都中央区越前堀[3]出身。本名は入村 直一[2][3]。一時期、井上 大介名義で活動していた。

略歴・人物

生家は製本工場[4]1950年、東宝配給映画『山のかなたに』(千葉泰樹監督)の井上大助役のオーディションに合格して、同作の役名を芸名にして俳優デビュー[2]。翌年には東宝の専属[3]となり、「下町の端正なヤンチャな二枚目[4]」の少年スターとして人気が爆発する。1954年、中央高等学校(現・中央学院大学中央高等学校)を経て中央商科短期大学に入学するが、中退して俳優業に専念する[2]。このころ、趣味の寄席見物を通じ、立川談志毒蝮三太夫らと知り合い、親交をはじめた[4]

演技力を評価されていた[3]が、1960年代に入ると、次第に主要な役がつかなくなり、仕事内容が端役ばかりとなっていき、やがて酒に溺れるようになった[4]。この時期の井上を間近で見ていた談志は「人気の頃にその人気をどう処理していいのかワカンなくなっちゃったようなところが見えた」「子役がつきあたる壁もあったろう」[4]と述懐している。

1972年公開の『紙芝居昭和史 黄金バットがやって来る』を最後に映画界から遠ざかった。晩年、事業に失敗して生家を売り払い、東京都日野市に転居した[4]1977年8月12日、胃穿孔のため死去[2]。42歳没。

出演作品

映画

※すべて東宝配給

テレビドラマ

  • にっこり右門 第6話(1960年)
  • ここに人あり 第156話「霧の夜の女たち」(1960年)
  • 風の視線(1962年)
  • 青春の群像 第2話(1963年)
  • 特別機動捜査隊 第72話「ある盲点」(1963年)
  • 長い長い旅(1963年)
  • ウルトラQ 第4話「マンモスフラワー」(1966年) - 警察官

出典

  1. ^ a b c d ゴジラ大百科 1993, p. 114, 構成・文 岩田雅幸「決定保存版 怪獣映画の名優名鑑」
  2. ^ a b c d e f 『日本映画人名事典 男優篇 上巻』キネマ旬報社、1996年、175頁。 
  3. ^ a b c d e 井上 大助 コトバンク - 典拠は日外アソシエーツ『新撰 芸能人物事典 明治~平成』
  4. ^ a b c d e f 立川談志『談志楽屋噺』(文春文庫、1990年)pp.33-36

参考文献

  • 『ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]』監修 田中友幸、責任編集 川北紘一Gakken〈Gakken MOOK〉、1993年12月10日。 



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