五十嵐家歴代と弁蔵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/15 00:54 UTC 版)
初代:五十嵐新平(1750-1829)楽焼を作る。写しものを主とする茶器類が伝存する 二代:五十嵐新平(新蔵)(1791-1851)一單斉信楽と名乗り、高取、唐津、高麗、南京などの写しものを得意とした。 三代:五十嵐信平(信五郎)(1833-1882)27歳で窯元を継承、三島、絵高麗の写しを得意とした。信楽土の導入を開始、雑器の大量生産を可能とする生産体制を整え、辰砂(しんしゃ)の作品を手がける 四代:五十嵐信平(八十治郎)(1851-1918)32歳で窯元を継承、店売りや料亭向けなどの大口注文をこなす。 五代:五十嵐信平(栄次郎)(18??-1939) 四代信平が現役中はその作陶活動を補佐。健康上の理由で廃窯した後は、歴代の作品に箱書きを行うなどの活動に従事した。大正期(1912-1926)の「磊三古曽部(復興古曽部)」の製造にも、「窯元」として参加した。 六代:五十嵐信蔵(19??~1912-1981~?) 五十嵐弁蔵(二代新平の2男。3代、4代を補佐し、1904年、80余歳で没。) 鼓形花器や童女人形などに「辨三」銘の作品を遺す
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