二色法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 09:00 UTC 版)
テクニカラーの原点は赤・緑の二色法プロセスであった。これは、被写体をプリズムで分解し、赤緑それぞれのフィルターを通した映像を1本のモノクロフィルムに交互に記録する方式であった。少し進化させ2本のフィルムに減色法で記録する方式で、『十誡』(1923年)、『オペラ座の怪人』(1925年)、『ベン・ハー』(1925年)などの作品のカラー部分が制作された。2本のフィルムを映写用に貼り合わせていたため焦点が合わないという技術的問題や、映写用フィルムの耐久性の問題があった。 そのため、2本のフォルム画像を1本の新しい(映写用)フィルムに転写する「ダイ・トランスファー方式」が採用された。これで上映技術も向上し、多くの映画が制作されたが、1930年以降、世界恐慌(大恐慌)の影響や、カラー作品が興行成績の向上につながらず、テクニカラー社は財政面で苦戦した。
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