二度目のカアバの再建
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 06:27 UTC 版)
「メッカ包囲戦 (692年)」の記事における「二度目のカアバの再建」の解説
イブン・アッ=ズバイルはハティーム(英語版)を建物の一部に取り込む形でカアバを再建した。 ハッジャージュはイブン・アッ=ズバイルによって変更された設計をムハンマドの時代の設計に戻してカアバを再建した。 イブン・アッ=ズバイルの死は第二次内乱の終わりを告げ、イスラーム国家はウマイヤ朝のもとで再統一された。そしてその年は「統一の年」と呼ばれた。ハッジャージュはヒジャーズ、イエメン(アラビア半島南西部)、およびヤマーマ(英語版)(アラビア半島中央部)の総督に任命された。 砲撃によっていくつかの壁に損傷を受けていたカアバは再建された。ムハンマドの時代に存在していた元の建物は前回の683年の包囲戦の期間中に火災による被害を受けていた。イブン・アッ=ズバイルはムハンマドが望んでいたとされる伝承に従って正方形の設計を長方形に変更し、ハティーム(英語版)を建物の一部に含める形でカアバを再建した。さらに当初は一つしかなかった出入口を追加して二か所の出入口を設けた。しかし、ハッジャージュはアブドゥルマリクの命令によってカアバを取り壊し、当初のムハンマドの時代の設計に基づいて再建した。カアバは今日までこの時の構造を保ったまま存在している。 バラーズリーによれば、アブドゥルマリクはのちにハッジャージュへの指示を後悔し、イブン・アッ=ズバイルによって再建された姿でカアバを残すことを望んでいた。アブドゥルマリクは683年の包囲戦中にカアバが炎上したことに衝撃を受けていた。そして自身の命令によるカアバへの砲撃とその後の取り壊しはアブドゥルマリクの評判を傷つけた。それにもかかわらず、ウマイヤ朝の支持者たちはこの再建を称賛した。同時代の詩人は次のように記している。 「あなたは預言者の時のように神の住処を復活させ、アッ=ズバイルの息子たちが堕落させたものを正した」
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