二度目のイタリア旅行(1505-1507)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 00:35 UTC 版)
「アルブレヒト・デューラー」の記事における「二度目のイタリア旅行(1505-1507)」の解説
彼は絵を描くためにイタリアに戻り、最初にリンネルにテンペラ技法によって描く一連の作品を製作した。作品には自画像や祭壇画が含まれていた。パウムガルトナーの祭壇画や『マギの礼拝(東方三博士の礼拝)』などがあった。1506年初期、彼はヴェネツィアに戻り、1507年春までそこに滞在した。この時すでにデューラーのエングレービングは人気を得ていて、コピーが作成されていた。滞在中に、ジョヴァンニ・ベリーニと親交を結んでいた。 ヴェネツィアで彼はドイツ移民の共同体から、サン・バルトロメオ(イタリア語版)教会の祭壇画の業務委託を受けた。この時の作品は"Adoration of the Virgin"あるいは『ローゼンクランツフェスト(薔薇の冠の聖母)』として知られている。委託にはヴェネツィアのドイツ移民共同体メンバーの肖像画が含まれていたが、その作風はイタリアの影響を受けていた。その後、作品はルドルフ2世の手に渡り、プラハに移された。デューラーがヴェネツィアで製作した他の絵画には、『ヒワの聖母子』や"Christ disputing with the Doctors"などがある。
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