二度にわたる架橋の見送り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 16:51 UTC 版)
直島は玉野市に極めて近く、これまで二度架橋の構想があった。 一度目は本州四国連絡橋で、本州側の宇野から直島・男木島などを経由し高松に至る「Bルート」であった。直島には国鉄が駅を設置し、自動車道の出入口も設置される構想があったという。当時の国鉄が本案を推していたが、直島 - 男木島間が長大になるため技術的に困難で、早いうちにルート案から外され「Dルート(児島・坂出ルート)」が実現した。 二度目は本四架橋ルートから外されたことにより、町独自で宇野との架橋を目指したもので、1987年に町が調査を行っている。その結果、約650億円(当時)の費用が必要と判明、町単独の事業では到底不可能と判断され架橋は見送られた。玉野市との合併で架橋実現を求める声もあったが、結局実現しないまま終わった。 架橋の見送りにより「アートの島」としての再生が行われるまで直島の町勢は長らく停滞、人口も減少することとなった。
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