二万五千組
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 15:22 UTC 版)
1930年、富農撲滅のために二万五千組(二万五千人隊)が組織され、都市で2万5000人以上の党員が動員され、農村に派遣された。この部隊に動員された武装した党員や労働者らは、「富農」撲滅運動を仮借なく展開した。派遣された党員が、穀物の種子まで徴発したら種まきもできないではないかと指摘すると、共産党から除名された。 ウクライナ共産党政治局員のM.M.ハタエーヴィチ(ロシア語版、英語版)は、演説で「諸君はブルジョワ的人道主義を投げ捨て、同士スターリンに恥じないボリシェビキとして行動せよ。富農の手先が現れたら、ところかまわず打ちのめせ。戦争なのだ。彼らが勝つか、我々が勝つか。なんとしてでも、資本家の農場の最後の残りかすを一掃せよ!」「諸君の仕事は、どんな犠牲をはらっても、その穀物をとりあげることだ。彼らがどこに隠そうと、かまどのなか、ベッドのした、地下室、裏庭の穴、どこであろうと、それを見つけ出せ。党の特殊部隊である諸君をとおして、村はボリシェビキの厳しさを学ばねばならない」「これは諸君のやる気の最後の最後までの、そして諸君のチェキスト精神の最後のかけらへの挑戦なのだ」「これは生死の闘いだ」と鼓舞した。
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