中止の妥当性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 09:13 UTC 版)
開催が予定されていた当時はバブル崩壊が進行しつつあり、仮に博覧会を実施した場合、どの程度経済的な効果があったかどうかは不明である。当時すでに第一次公募企業の進出中止や延期が相次いでおり、3年前の1993年に東京多摩地域で開催されたTAMAらいふ21でも、企業の協賛が思うように得られない状況で観客数も伸び悩んでいた。またバブル崩壊前ではあるものの、1988年に札幌市で開催された世界・食の祭典の失敗例の記憶も新しく、行政主体の大型イベントの限界が指摘され始めていた。 先述のとおり、都市博を中止した当の青島が臨海開発のためのイベント開催の必要性に言及したこともあり、世界都市博中止は失敗だったのではないか、と批判された。青島が実施反対としていた三つの公約のうち、臨海副都心開発と二信組救済はその後も進められ、青島在任中に実現されたのは博覧会中止のみであった。
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