中国法の調査・研究・法典編纂協力と日本
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「中国法制史」の記事における「中国法の調査・研究・法典編纂協力と日本」の解説
明治初期の日本において司法省が慣習調査を行い、1880年に『全國民事慣習調査』として結実するが、これを皮切りに、清末期中国、台湾、朝鮮などで多くの慣習調査が行われた。台湾においては、台湾総督府民政長官後藤新平の命により、岡松参太郎指揮の下、臨時台湾旧慣調査会により1905年から10年間かけて『清国行政法』と『台湾私法』等が刊行された。台湾において旧慣習調査が行われていた同時期、清末中国では日本からの法律顧問として岡田朝太郎等が参加して近代的法典調査が行われ、作業にあたっては岡田から岡松への協力要請も行われている。またこの時期には清朝側の機関である憲政調査館・修訂法律館による慣習調査も行われていた。これは清朝の倒壊とともに頓挫するが、北洋政府時期には改めて慣習調査が行われ、1930年に『民商事慣習調査報告書』に結実している。そして台湾旧慣調査に携わった人間が岡松とともに初期の満鉄調査部に渡り、継続して満州の慣習調査を行い、1914年から1915年にかけて『満州旧慣調査報告書』全9冊として結実した。また満鉄調査部と関係を有しながら農村実態調査が行われ、また千種達夫による家族法の慣習調査も行われた。これと同時に進められた旧満州国法典編纂にあっては、穂積重遠、我妻榮など当時の日本を代表する法学者が参加した。彼らは中華民国法制研究会などの調査を通じて中華民国法制の研究も行った。
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