中国法制研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 09:04 UTC 版)
漢学の素養を活かせる職を求めたところ、1904年(明治37年)6月梅謙次郎の推薦で臨時台湾旧慣調査会第一部(法制部)に採用され、岡松参太郎の下で中国・台湾の親族法を実地調査し、『台湾私法』を編纂した。1907年(明治40年)6月30日京都帝国大学法科大学内臨時台湾旧慣調査会行政科(京都公司)嘱託、1911年(明治44年)2月23日補助委員となり、『清国行政法』第5巻第3編(司法行政)を担当した。 1915年(大正4年)5月31日解任されて帰京した。1916年(大正5年)総督府の命で福建省の教育・宗教を調査すると同時に、「支那法制辞典」編纂に取り組んだ。1917年(大正6年)頃法政大学講師となり、経書を講義した。1919年(大正8年)3月台湾に出張して調査報告を行った。
※この「中国法制研究」の解説は、「東川徳治」の解説の一部です。
「中国法制研究」を含む「東川徳治」の記事については、「東川徳治」の概要を参照ください。
- 中国法制研究のページへのリンク