下松タウンセンター構想
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「ゆめタウン下松」の記事における「下松タウンセンター構想」の解説
1988年(昭和63年)3月に下松市が、下松市総合計画の中で「下松シンボルゾーン構想」を発表。その中核の一つである「下松タウンセンター構想」に基づき、旧日本石油精製下松製油所末武貯油所跡に、商業・文化集積が整備されることとなった。背景には、不況による人口減少と、市内の買い物客が隣接する徳山市(現・周南市)などに流出している状況があった。 同年10月に、第三セクターの下松商業開発株式会社が設立され、下松市・地元の出店者・中小企業事業団(現・中小企業基盤整備機構)が出資した。翌年の1989年(平成元年)2月には、西友の進出が決まった。 施設の整備は、西友や下松市・下松商業開発の出資によって1992年(平成4年)1月に設立された下松タウンセンター開発株式会社と、下松商業開発によって行われた。整備にあたっては、特定商業集積法の適用と、中小小売商業振興法の認定を受けた。また隣接地には、文化施設である下松市文化健康センター(スターピアくだまつ)が下松市の単独事業として整備された。
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