下位チームを流転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 03:58 UTC 版)
「ヨス・フェルスタッペン」の記事における「下位チームを流転」の解説
1995年はベネトンから貸し出される形でシムテックに加入。この移籍は資金や前年までベネトンが使用していたギアボックスと電装系パーツも持ち込みでの契約だった。しかし、この頃のシムテックは前年のローランド・ラッツェンバーガー、アンドレア・モンテルミーニの相次ぐクラッシュなどで著しい財政難にあり、わずか5戦で撤退に追い込まれてしまい、フェルスタッペンもシートを失った。以後は資金難の中堅・下位チームを渡り歩くことになる。 1996年はアロウズへ移籍し、チームメイトのリカルド・ロセットをほとんど上回っていたが、マシンの信頼性不足もあり、入賞はアルゼンチンGPの一回だけだった。また、F1参戦を表明したブリヂストンのためにタイヤ開発テストを重ねた。 1997年はティレルへ移籍。奇抜な「Xウイング」を取り付けた025をドライブするも、V8エンジンの非力さも手伝ってノーポイントに終わった。 1998年もティレルからのエントリーが予定されていたが、開幕直前にスポンサーを持ち込んだロセットにシートを奪われてしまい、浪人状態で開幕を迎えた。その後第8戦からは不振のヤン・マグヌッセンに代わりスチュワートのシートを得るが、目立った成績を残すことはできず、再びシートを失うこととなる。
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