下位シードの意地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 00:19 UTC 版)
「1980-1981シーズンのNBA」の記事における「下位シードの意地」の解説
当時人々の期待はラリー・バード率いるボストン・セルティックスとマジック・ジョンソン率いるロサンゼルス・レイカーズによるファイナル決戦だったが、マジックの負傷により夢の対決はこの年も叶わなかった。そして西を勝ち上がってきたのは意外なチームだった。 ヒューストン・ロケッツは80年代を代表する名センターモーゼス・マローンにロケッツを長年に渡って支え続けたルディ・トムジャノビッチとカルヴィン・マーフィー、ポイントガードのマイク・ダンリービーらを擁していたものの、優勝争いからは程遠いチームで、このシーズンも40勝42敗と勝率5割には届かず、カンファレンス6位ギリギリで辛うじてプレーオフに進出した。カンザスシティ・キングスもシーズン前には100万ドル契約を結んだオーティス・バードソングが話題を集めていたものの、チームとしては下り坂でこのシーズンもロケッツと同じく40勝42敗。やはりギリギリでプレーオフに進出していた。レイカーズはマジックの不調が明らかで、このシーズンのウエスタン・カンファレンスのプレーオフはサンアントニオ・スパーズとフェニックス・サンズによって争われるはずだった。 ところがロケッツとキングスはプレーオフ1回戦で上位シードのレイカーズとポートランド・トレイルブレイザーズを破り、カンファレンス準決勝に勝ち進むと、ロケッツはスパーズを、キングスはカンファレンス勝率トップのサンズを、いずれも第7戦の末に破ってしまったのである。ロケッツにとっては初の、キングスにとっては27年ぶり(当時はデビジョン決勝)のカンファレンス決勝進出となった。カンファレンス決勝はロケッツが4勝1敗でシリーズを制し、最下位シードから勝ち上がったロケッツがチーム史上初のファイナル進出を決めた。ロケッツのレギュラーシーズン40勝42敗は、ファイナルに進出したチームの中では史上最低の勝率である。
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