上京~沖縄倶楽部結成
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1898年、久三は友人を頼って上京した(上京の時期については「1896年」とする資料もある)。東京では適当な仕事に就けず、その日暮らしの生活を送っていたが、向学心は忘れなかった。ある日、久三は古本屋で『植民論』という一冊の書籍に出会った。この本を読んだ久三は、当時の沖縄が直面していた食糧問題・人口問題解決のためには海外移民事業が必要であるとの確信に至った。また、上京中に田中正造の知遇を得た久三は、日本本土ではすでに始まっていたハワイ移民に関する種々の情報を田中から得ていたという。 上京中に沖縄出身の社会運動家謝花昇と知り合い、意気投合。2人は同志をつのり、政治結社・沖縄倶楽部を結成した。久三は1899年3月、謝花とともに帰郷。沖縄倶楽部の機関紙『沖縄時論』の発行に携わり、奈良原繁知事の県政運営に批判的な論陣を張った。しかし、やがて久三の情熱は、かねてからの関心事であった海外移民事業に向けられていった。沖縄倶楽部は、1900年の沖縄県農工銀行役員改選で奈良原知事派に惨敗して以降、急速に衰退していった。
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