三河岩瀬氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 16:33 UTC 版)
三河岩瀬氏は藤原南家の末裔で、鎌倉時代に幕府官僚として活躍し、南北朝時代には、奥州の豪族となった二階堂氏の支族といわれる。岩瀬氏の祖は、15世紀に奥州から三河国に移り、戦国大名今川氏に仕官して、宝飯郡内(現、豊川市)に領地を授かる。また、岩瀬氏安の時代に松平清康に仕え、以後松平・徳川のために尽くしたことが『寛政重修諸家譜』に述べられているが、松平・徳川方の史料には家康の父や祖父の頃から岩瀬氏が服属したとする史料は存在しない。東三河の土豪であった牧野氏、真木氏、野瀬氏などと共にその周辺に根を張り、今川氏のため、西三河の松平氏と対峙していた勢力であったとみられる(『牛窪記』・『三河国文献集成』など)。もっとも、松平清康が三河国をほぼ統一した享禄4年(1531年)に、吉田城主牧野氏及び、真木氏には清康と戦った史料・伝説が存在するが、牛久保城主牧野氏及び岩瀬氏には清康と合戦したとの史料・伝説は未見である。
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