三河国の小栗氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/23 01:17 UTC 版)
「三河小栗氏」を参照 一族の重弘は常陸から三河に下向したとされ、その四世孫・重昌は三河国平田合戦で討死している。しかし、三河国での小栗氏の初見は、松平清康(徳川家康の祖父)が重臣に唐竹割りに両断された守山崩れ直後に発給された、岡崎奉行人の小栗信臣である。永禄年間に小栗大六・小栗吉忠・ら小栗党が筒針城を築き、家康に属して三河一向一揆と戦う。重昌の孫・正重が徳川家康に仕え、以後子孫は旗本家として続いた。
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