三木町発足前
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789年(延暦8年)-美嚢郡大領韓鍛首広富が献稲の功より外従五位下を授かる。 868年(貞観10年)-播磨国大地震 1156年(保元1年)-平清盛が播磨守に任ぜられる。 1555年(弘治1年)-三好長慶が別所就治の三木城を攻囲して敗れる。 1570年(元亀1年)-浦上宗景が三木城を攻める。 1573年(天正元年)11月-織田信長は浦上宗景の請いによって、播磨国の旧領を安堵し、宗景と別所長治との和平を画策した。 1580年(天正8年)-三木城が開城し、別所氏滅亡。三木町は豊臣秀吉の領国下となり、地子を免許せられる。 1582年(天正10年)-豊臣秀吉が有馬則頼に美嚢郡を与えた。 1842年(天保13年)-三木町ほか明石藩領となる。 1871年(明治4年)-町内全域が姫路県となる。 1872年(明治5年)-大小区制がしかれる。 1876年(明治9年)-飾磨県が兵庫県に合併される。 1879年(明治12年)-美嚢郡役所設置。
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