三木氏の朝廷工作と支配拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 12:16 UTC 版)
「姉小路頼綱」の記事における「三木氏の朝廷工作と支配拡大」の解説
父の三木良頼は飛騨国司姉小路家(古川・小島・向)の宗家である小島氏とは盟を結ぶ。さらに飛騨全土の支配者としての正統な名分を得るべく、古川姉小路家の名跡奪取を目論んだ。室町幕府の将軍足利義輝や関白近衛前嗣に(献金などの)猟官運動を行った結果、弘治4年(1558年)1月に従五位下飛騨守(飛騨国司)の官位を得た。 同年、吉城郡高堂城の広瀬宗域(広瀬山城守)と連合して、天神山城の守護代高山晴高(高山外記)と三枝郷の山田紀伊守を攻め滅し、鍋山安室・畑安高・大谷蔵人・岡本豊前守を支配下の家臣とした。その後、三木氏と仲が良く繋がっていた姉小路家三家の一つ宗家である小島時光が味方となり、親族衆とする。これにより三木氏の勢力は益田郡・大野郡 に及ぶ事となった。
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