三代目小島幸治による伝記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/17 06:22 UTC 版)
「東洲勝月」の記事における「三代目小島幸治による伝記」の解説
東洲勝月は本名を小島勝美と言い、嘉永二年、1849年に川越の城主、松平斉典公の御右筆掛(書記係)の次男に生まれる。 1868年戊辰戦争が始まると勝美(18歳)は兄(20歳)とともに彰義隊に加わり上野の山で官軍との激戦の末敗れる。 翌年浅草に帰り仲見世通りで辻似顔絵師となり、後にお寺の住職に認められ仏画絵師の道に入る。 その後浮世絵師年方の弟子となり「勝月」の画号を頂く。 以後没するまで浮世絵ならびに錦絵の道に専念した。享年46。 家系 小島勝美、小島徳三郎、小島幸治、小島政幸。 以上三代目小島家(勝琴庵)の資料を基に記。 コジマ マサユキ masayuki cosmo youtube
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