三代目以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 15:11 UTC 版)
伊多波家の系図は1871年(明治4年)まで続くが、伊多波氏が鉱山師として藩に貢献し、藩も伊多波氏を重用していた様子がうかがわれる。重行・重克の秋田(岩瀬村)移住は、系図から元禄期以降と推定される。ただ、系図の冒頭部分には「吾祖……元禄年間有故テ」岩瀬村に移住したと記されており、彼ら以前に伊勢から関わりのある者が移ったと見るべきであろう。こうした移住の背景には、初代武助の故郷にあった丹生鉱山の水銀採掘技術が考えられ、そういった技術者集団の動きや、採掘・精錬技術の伝播が考えられる。 1781年(天明元年)9月5日、身分不相応の華奢と国法を犯したことにより、厳罰に処せられるところ、祖父の功績の為に組下の地位と高禄が召し上がれる処分が下った。そして、俸祿500石が下され岩瀬村での逼塞を命じられた。
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