一身二生で退職後は豆腐屋へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/05 23:25 UTC 版)
「清水建宇」の記事における「一身二生で退職後は豆腐屋へ」の解説
清水は「世界名画の旅」の取材で当時訪れたバルセロナが数ある取材先の中で最も印象的だったことから、退職後に移住することをかねてから考えていた。しかし米や魚介類など食べ物が日本と似ているにもかかわらず、バルセロナには豆腐店がないことから、日本食がないと駄目な清水は自分で作るしか無いと長らく漠然と思っていた。そのような中、清水が雑誌で伊能忠敬を特集した際、伊能が事業家として成功を収めた後に、それに見切りをつけて第二の人生として学問の道に入ったという「一身二生」の考えに感銘を受けて、バルセロナで豆腐店を開くことを決意する。 そこで清水は定年退職の2週間前から東京にあるセルバンテス文化センターでスペイン語を学び始める。また、定年退職翌年の2008年5月より千葉県習志野市津田沼にある「村山とうふ店」に弟子入りし、豆腐や油揚げなどの作り方を学ぶ。 当初の予定ではバルセロナに2009年1月に店を出す考えだったが、予定がずれ込んで2010年4月12日に豆腐店「Tofu Catalán 東風」を開店。時期は不明だが月商230万円、客は日本人とスペイン人で4対6。
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