一宮・三宮に関する議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 15:37 UTC 版)
氷川神社自体は「武蔵一宮 氷川神社」の社標を掲げているが、武蔵国内における氷川神社の位置付けには、一宮と三宮の2説がある(「武蔵国#神社」も参照)。 平安時代中期の『延喜式神名帳』では氷川神社を「名神大社」と記しているものの、現在のところ、中世まで氷川神社を「一宮」とする資料は見つかっていない。鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』には、現在の東京都多摩市に所在する小野神社(延喜式神名帳では「小社」)を指すと思われる「多磨郡吉富に一宮」の記述があり、平安時代の内に、すでに社格の逆転があったとも考えられる。 武蔵国総社である東京都府中市の大國魂神社(六所宮)では、南北朝時代に編纂された『神道集』を基にして、武蔵国内の一宮から六宮までを「武州六大明神」として祀っており、公式に「一宮」を小野神社、「三宮」を氷川神社としている。現在も大國魂神社の例大祭(くらやみ祭・武蔵国府祭)の祈祷に、氷川神社の神官が「三宮」として参じている。 一方、室町時代後半に編纂されたと思われる『大日本国一宮記』は氷川神社を一宮とした。上記を基に、室町時代以降に当社が小野神社に替わって一宮の地位を確立したとする説がある。 これとは別に「氷川女躰宮」が一宮ともされている。
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