一休宗純が遺した言葉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 08:48 UTC 版)
ウィキクォートに一休に関する引用句集があります。 門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし 釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはするかな 秋風一夜百千年(秋風のなかあなたと共にいる。それは百年にも千年の歳月にも値するものだ) 女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む 世の中は起きて箱して(糞して)寝て食って後は死ぬるを待つばかりなり 南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ えりまきの 温かそうな 黒坊主 こいつの法が 天下一なり(本願寺で行われた開祖親鸞の二百回遠忌に、他宗の僧侶としてはただ一人参拝し、山門の扉に貼り付けて帰った紙に書かれていた) 分け登る 麓の道は多けれど 同じ高嶺の月こそ見れ アントニオ猪木らによって「一休の言葉」として流布されていた「この道を行けばどうなるものか…」に始まる言葉は実際には一休の言葉ではなく文言に多少の相違はあるものの、もとは清沢哲夫の「道」という詩であったと見られる。同じく、一休の遺文として「心配するな、なんとかなる」というものがあったという話も広く知られているが、原典は不明であり、一休に関する事象と断言できない。ある伝記作家が創作したという説もある。
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