ヴィンス脱退、アラン加入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:15 UTC 版)
「デペッシュ・モード」の記事における「ヴィンス脱退、アラン加入」の解説
しかし、ここで最初の不協和音と困難がバンドを襲う。かねてからプロモーションとツアー活動に不満を漏らしていたヴィンスが1981年に脱退してしまう。作詞作曲を手がけていたヴィンスの脱退はバンドにとってダメージとなったが、『ニュー・ライフ』で「Tora! Tora! Tora!」と「Big Muff」の2曲を手がけたマーティンが代わりに作詞作曲を担当することでバンドを存続させ、この件がマーティンの才能を開花させるきっかけとなった。 ヴィンス脱退後の初のシングルとなった「See You」は過去最高の全英チャート6位を記録。続いて2枚のシングルを出した後『ア・ブロークン・フレイム』を発表。マーティンはヴィンスの持っていたポップセンスと陰りのある作風を引き継ぎ、さらに独自のものへと発展させていった。 やがてバンドは4番目のメンバーを求め、オーディションの結果、当時22歳のアラン・ワイルダーをメンバーとして選んだ。実はこの時、アランは年齢を詐称していたが、問題にはならなかった。1983年に4人編成に戻ってから初のシングルとなる「Get the Balance Right!」を発表。これは後のベスト盤までアルバムには収録されなかった。 続いてアルバム『コンストラクション・タイム・アゲイン』を発表。このアルバムでアランはバンドの音楽性に今までにない要素、金属の打撃音や摩擦音といったインダストリアル・ミュージックの要素を持ち込んだ。 『コンストラクション・タイム・アゲイン』からはバンドの代表曲となる「Everything Counts」がシングルカットされている。この頃から、マーティンの詞には社会の矛盾に対する鋭い批判や意味深なニュアンスが込められるようになってくる。
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