ローテンブルク・オプ・デア・タウバーの保存
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「ジョン・J・マクロイ」の記事における「ローテンブルク・オプ・デア・タウバーの保存」の解説
1945年3月、ローテンブルク・オプ・デア・タウバーはドイツ兵によって守られていた。マクロイは、ローテンブルクの歴史的重要性と美しさを知っていたため、陸軍のジェイコブ・L・デヴァース(英語版)将軍に、ローテンブルク攻略に大砲を使わないように命じた。後に名誉勲章を受賞するフランク・バーク(英語版)大隊長は、第4師団第12歩兵連隊(英語版)の兵士6名に、3時間でローテンブルクへ行き、降伏を交渉するよう命じた。 ドイツ語に堪能なライシー二等兵が、白旗を掲げてローテンブルクのドイツ兵に接近し、交渉を開始した。「我々は師団長の代理です。あなた方がローテンブルクの街を守らないなら、砲撃や爆撃をしないという提案をお持ちしました。我々はこのメッセージをあなたに伝えるために3時間を与えられています。もし18:00までに戦線に戻らなければ、町は空襲され、砲撃されるでしょう」。ドイツ軍守備隊長のThommes少佐は、ヒトラーの「全ての町は最後まで戦え」という命令を無視して降伏を受け入れ、それによって砲撃による全壊から町を救った。1945年4月17日、アメリカ軍第4師団第12歩兵連隊がこの町を占領した。1948年11月、マクロイはローテンブルクの名誉市民に選ばれた。
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