ロルフ・マキシミリアン・シーベルトとは? わかりやすく解説

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ロルフ・マキシミリアン・シーベルト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/30 10:06 UTC 版)

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ロルフ・マキシミリアン・シーベルト
生誕 1896年5月6日
スウェーデン=ノルウェー スウェーデン ストックホルム
死没 (1966-10-03) 1966年10月3日(70歳没)
 スウェーデン ストックホルム
研究分野 放射線防護
研究機関 スウェーデン国立放射線防護研究所、カロリンスカ研究所
出身校 ウプサラ大学
主な業績 シーベルト・チャンバー英語版の開発、スウェーデンの放射線防護法制定
補足
プロジェクト:人物伝
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ロルフ・マキシミリアン・シーベルト(Rolf Maximilian Sievert, 1896年5月6日 - 1966年10月3日[1])は、スウェーデン物理学者

放射線が人体に与える影響についての研究で知られ、特に放射線防護について大きな功績を残した。その功績によって、国際度量衡総会1979年被曝線量当量の単位としてシーベルトを定義した。

経歴

研究室にて(1925年撮影)

スウェーデンストックホルム出身[1]。企業家マックス・シーベルトスウェーデン語版の子として生まれる[1]1914年-1915年カロリンスカ研究所で学び、1915年-1916年は王立技術研究所に所属、1919年ウプサラ大学入学し、理学修士号を取得[1]1932年に博士号を取得し、同年ストックホルム大学准教授となった[1]

私財を投じて開設したラヂウムヘメット物理実験室で、放射線測定装置の開発、放射線管理と防護を先導し[2]1924年から1937年までスウェーデン国立放射線防護研究所の初代所長を務め、1941年に、カロリンスカ研究所放射線物理教授に就任した[2]

1928年国際放射線防護委員会の設立当初(当時は国際X線およびラジウム防護委員会)から委員を務め、1958年-1962年の間は委員長を務めた[3]1958年-1960年の間は、原子放射線の影響に関する国連科学委員会委員長も務めた[2]

そのほか、放射線測定器シーベルト・チャンバー英語版を開発し、また1941年のスウェーデンでの放射線防護法の制定に尽力した。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e Rolf Sievert, the man and the unit” (英語). カロリンスカ研究所. 2013年11月19日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2015年10月29日閲覧。
  2. ^ a b c グレイとシーベルト”. 放射線防護に用いる量と単位 第2回. 首相官邸. 2015年10月29日閲覧。
  3. ^ ロルフ・シーベルト”. 原子力のページ|エネルギーひとくちコラム|単位になった科学者たち. 三菱重工 原子力事業本部. 2010年7月20日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2015年10月29日閲覧。




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