ルノー=日産アライアンスとルノーサムスンの誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 16:58 UTC 版)
「ルノーコリア自動車」の記事における「ルノー=日産アライアンスとルノーサムスンの誕生」の解説
1990年代後半にデザインや商品戦略などの相次ぐ失敗で販売不振が深刻化し、経営危機がささやかれた日産自動車が1999年3月にフランスのルノーと企業同盟を結び資本提携した。すなわち、「ルノー=日産アライアンス(のちにルノー・日産自動車・三菱自動車に改称)」である。その後のアジア経済危機により三星自動車も上述のような形で経営破綻し、ルノーが株式の80.1%を取得して筆頭株主となった(残りの19.9%は三星グループのサムスンカードが2021年8月まで保有)ルノーから引き受けを拒否された商用車部門(=サムスン商用車。工場は大邱広域市達西区にあった)が大邱地方裁判所から破産宣告を受けて事実上倒産し、撤退すると同時にルノーグループとサムスングループの間で合弁契約とサムスンブランドの商標使用許諾契約を締結したことでルノーの傘下となり、社名を「ルノーサムスン自動車」に変更、さらに2022年3月には「ルノーコリア自動車」に変更して現在に至る。このアライアンスによってすべてのルノーサムスン車には(エンジンやプラットフォーム、4WDシステムなど)日産自動車の技術が多用されてはいるものの、実は日産とルノーサムスンの間に直接の資本関係はない。 なお、ルノー傘下に入った後も当面は日産車のバッジエンジニアリング車を作り続けていたが、QM5以後の新車種はルノーと日産との共同開発としている。
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