リン鉱石の探査開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 21:19 UTC 版)
恒藤は1894年のリン鉱石発見後、翌1895年に概報、1896年には詳報を発表している。その中で日本の農地の地力を維持していくためにはリン酸を継続的に供給する必要があるとした。その上でリン鉱石を海外からの輸入に頼っている現状を指摘し、リン鉱石が国内で産出されることは極めて重要であり、すみやかに日本全国でリン酸資源の探査を行うべきであると主張した。 恒藤のリン鉱石発見後、地質調査所の土性課と地質課の間に対立関係が生じた。まず恒藤が所属する土性課は、リン鉱石発見のニュースに刺激を受けて全国各地調査の輪を広げ、土性課職員が秋田県、山形県内でリン鉱石を新たに発見するなどの成果を挙げた。一方、地質課の方もリン鉱石が発見された宮崎県を皮切りに、やはり各地でリン鉱石の調査を行った。そのような中、1896年に土性課は「鉱肥調査報文」という調査報告書を刊行した。刊行趣旨の中でリン鉱石など鉱物性の肥料原料の調査、研究は土性課の事業であると主張した。この主張は地質調査所内で異議が出されたと考えられ、「鉱肥調査報文」はその後刊行されることは無く、鉱物性の肥料原料の調査報告は「地質要報」内に記載されることになった。
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