リトアニア文化への貢献
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「ヴィンツァス・クディルカ」の記事における「リトアニア文化への貢献」の解説
彼のリトアニア語による初めての作品は1885年に『アウシュラ』(Aušra、「夜明け」の意)に掲載された風刺詩「ユダヤ人は何故豚肉を食べないのか」 („Dėl ko žydai nevalgo kiaulienos?“) であった。 本格的に詩を書くようになると同時にリトアニア民族復興運動にも積極的に参加するようになった。1888年にワルシャワで学ぶ他のリトアニア人学生とともに、秘密結社「リエトゥヴァ」(Lietuva、「リトアニア」の意)を結成し、翌年「リエトゥヴァ」は、地下新聞『ヴァルパス』(Varpas、「ベル」の意)の発行を始めた。クディルカはその編集に携わり、その後10年にわたって新聞の発行に貢献した。1898年9月に出された『ヴァルパス』の第6号で、彼の「国民賛歌」の詩が掲載されたが、この詩は後の1918年にリトアニア共和国国歌の歌詞として採用されることとなる。なお、国歌の作曲もまたクディルカ自身が行った。 『ヴァルパス』に加え、1890年より農民向けの新聞『ウーキニンカス』(Ūkininkas、「農夫」の意)もクディルカのイニシアティヴで発行されるようになった。その後『ウーキニンカス』の編集はすべてクディルカによって行われるようになる。 クディルカはリトアニア文化に対して多大な影響を与え、また同時にリトアニアの民衆音楽のコレクションも発行している。彼はまた諷刺文学を書くことでも知られていた。
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