ラジオ・自動車産業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 05:59 UTC 版)
「ナチス・ドイツの経済」の記事における「ラジオ・自動車産業」の解説
ヒトラー内閣では国民製品が構想され、主なものとしてラジオと自動車がある。宣伝省はラジオをプロパガンダのための重要な手段とみなし、ラジオメーカーに働きかけて製造を主導した。ラジオ・カルテルが形成され、1933年に国民ラジオVE301と命名された製品が発売された。VE301の価格は76マルクと平均世帯にとって高価であり、分割払いを可能にして普及を推進した。さらに1938年には35マルクの小型ラジオDKが発売され、普及率は急増した。 ヒトラーは、一家が一台乗用車を保有できるという国民車構想を1934年に発表し、価格を1200マルクとした。しかし、当時のドイツにとって自動車は高級品であり、輸入に頼っている燃料も高価だった。もっとも低価格を実現したオペルのP4も1450マルクであり、1200マルクという構想は自動車業界の反発を招いた。営利目的では国民車は不可能だったが、ヒトラーはフェルディナンド・ポルシェのチームに研究させ、ドイツ国民車準備会社で製造した。フォルクスワーゲン・タイプ1 は990マルクを目標価格として予約販売を始めたが、大半のドイツ人には依然として高価であり、ヒトラーが目標としたブルーカラー労働者の見込み顧客は5%にとどまった。さらに1939年の開戦によって民間車の生産は止まり、ナチス・ドイツ時代にフォルクスワーゲンを得た者はいなかった。
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