ライ・ロイヤル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 03:35 UTC 版)
「ライ (イングランド)」の記事における「ライ・ロイヤル」の解説
ライは、シンク・ポーツ連合の1港であり、海峡沿岸部の侵攻に対する防御拠点であり、常に王家との密接な関係があった。エドワード3世とエドワード黒太子は、1350年にライ湾 (Rye Bay) におけるウィンチェルシーの海戦(レ・ゼスパニョール・シュール・メール〈Les Espagnols sur Mer〉の海戦)において、「海上のスペイン人」(レ・ゼスパニョール・シュール・メール)の艦隊を破り、また、エリザベス1世(在位1558-1603年)は、1573年にシンク・ポーツ連合のライを訪れ、町に「ライ・ロイヤル」という名を与えた。また、ジョージ1世(在位1714-1727年)は、1726年に激しい嵐に遭ったためにキャンバー(英語版)より上陸し、ライで過ごした際に、町長のジェームズ・ラムによりラム・ハウス(英語版)(1722年築、イギリス指定建造物2*級〈Grade II*〉1952年3月25日指定)に4夜滞在した。エリザベス2世(在位1952年-)は、1966年にフィリップ王配とともに公式訪問し、その後、1980年にもライを訪れている。
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