エドワード3世とエドワード黒太子
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「プリンス・オブ・ウェールズの羽根」の記事における「エドワード3世とエドワード黒太子」の解説
世間一般では、プランタジネット朝のエドワード3世の長子で法定推定相続人であったエドワード黒太子(1330年–1376年)に遡る。エドワードは、王室の紋章とは別に「平和のシールド("shield for peace")」と描かれる「黒地(セーブル)に白銀(アージェント)の3枚のダチョウの羽根(Sable, three ostrich feathers argent)」のシールドを有していた。これはジョストのために彼が使用していたシールドだったことを意味するかもしれない。これらの紋章は、カンタベリー大聖堂にある彼の墓の脇に彼の王室での紋章と別に複数見られる。王子はまた一つ、あるいはそれ以上の数のダチョウの羽根を多数のほかの状況で使用している。羽根が最初に見られるのはエドワード3世とフィリッパ・オブ・エノーとの結婚においてである。したがってそれはエドワード黒太子が母から相続した徽章であるという考えられる。フィリッパはエノー伯家の出身であり、同家の長子は「オストルヴァン伯("Count of Ostrevent")」の称号を帯びることになっていた。ダチョウ(フランス語: autruche, 古フランス語での綴りではostruce)の羽根は地名のOstreventとostruce(ダチョウ)の「語呂合わせによる紋章化(これを"heraldic pun"という)」した意匠だったかもしれない。そのかわりに、この徽章はルクセンブルク大公家に起源をもち、フィリッパはまた同家の子孫であり、同家はダチョウの羽根の徽章を使用してきた。エドワード3世はときにダチョウの羽根の徽章を使用した。14世紀、15世紀の王室の他の成員がそうしたように。
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