エドワード3世の侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/09 06:09 UTC 版)
「サン・トメールの戦い」の記事における「エドワード3世の侵攻」の解説
エドワード3世は1340年にフランス侵攻のため上陸した際に、アルテベルデに対してフランドル兵15,000人を要求した。この過大な要求に驚いたアルテベルデだったが、何とか10,000人をかき集めて参陣した。スロイスの海戦で大勝し勢いに乗るエドワード3世は、アルトワ伯の継承争いでフランス王と対立して謀反人として追われたロベール3世・ダルトワに命じて、アルトワに結集したイングランド兵1,000、フランドル兵10,000を率いて騎行(Chevauchée、騎兵で敵地深く侵入して略奪や破壊などを行うイングランド軍の戦術)を行わせた。フランス軍を会戦に引きずりだし、要塞化されたサン・トメールを攻略するのが狙いだった。 イングランドの動きを察知していたフランス側はアルトワの城塞などの防備を強化し兵を集めた。7月までに、フランス王フィリップ6世は25,000人の兵を結集し、防衛力を増強したサン・トメールやトゥルネー(ベルギー)に配置した。
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