ライシャワー駐日大使との対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 07:17 UTC 版)
「ポール・W・キャラウェイ」の記事における「ライシャワー駐日大使との対立」の解説
キャラウェイは当時の駐日アメリカ合衆国大使エドウィン・O・ライシャワーと対立し、大使館からの重要な情報を伝達せずに保留することが暫し行われた。ライシャワーは当時のアメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディの沖縄に自治権を与える計画に支持し、日本政府に沖縄へより大きな財政援助を行うことを容認した。キャラウェイはこれら全ての措置に反対し、彼らが沖縄に存在する戦略的に重要なアメリカ軍基地を奪うのではないかと信じた。ライシャワーの回顧録に、彼はキャラウェイを「頑固な男(bull-headed man)」、「独裁者(autocratic)」と批判し、またキャラウェイが解雇された際には、「彼は役に立たない。彼は厄介者で、自分自身は何でも知っていると思っていたようだが、実際何も知らなかった。」と述べている。キャラウェイは、ライシャワーは日本と陰謀を企て、沖縄からアメリカ軍を力ずくで追い出そうとしたことに非難した。1962年ケネディ大統領は沖縄を日本に復帰させる意欲を示した。このケネディの政策により、立法院を拒否権で抑え込んだキャラウェイの権力は制限された。 1963年3月にキャラウェイは演説で、「沖縄の自治権を強く欲する住民は、彼ら自身で政治を行う能力は無い。」と発言し、政府職員の多くは彼の解任を要求した。同年に起きた渇水により、ダム貯水率が40%よりも下回った際、キャラウェイは取水制限を行った。1964年8月1日、彼は高等弁務官を退き、次代のアルバート・ワトソン2世に引き継がれた。
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