ユリウスエプシュタインとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 組織・団体 > 家系 > 民族 > ユダヤ人 > ユリウスエプシュタインの意味・解説 

ユリウス・エプシュタイン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/24 16:05 UTC 版)

ユリウス・エプシュタイン
基本情報
生誕 (1832-08-07) 1832年8月7日
出身地 オーストリア帝国アグラム
死没 (1926-03-03) 1926年3月3日(93歳没)
オーストリアウィーン
ジャンル クラシック音楽
職業 音楽学者

ユリウス・エプシュタインJulius Epstein, 1832年8月7日 アグラム - 1926年3月3日 ウィーン)はオーストリア=ハンガリー二重帝国ピアニストクロアチア出身のユダヤ人音楽家で、ヨハネス・ブラームスの親友やグスタフ・マーラーの恩師として名高い。

経歴

地元アグラムで詩人で合唱指揮者のヴァトロスラフ・リヒテンエッガーに学んだ後、ウィーンヨハン・ルフィナッチャに作曲を、アントン・ハルムにピアノを師事。1852年にデビューしてから、ウィーンで最も高名なピアニストおよび音楽教師のひとりとなった。1867年から1901年までウィーン音楽院の教授となり、イグナーツ・ブリュルやマルツェラ・ゼンブリヒ、エリーザベト・シュトックハウゼン、マティルデ・クラリークらを輩出する。出版譜の校訂にも携わり、ベートーヴェンピアノ・ソナタ全集やメンデルスゾーンのピアノ曲全集、シューベルト全集学術校訂版に関わった。ほかにヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの《12のポロネーズ》も校訂している。

娘のルドルフィーネはチェリストに、ウジェニーはヴァイオリニストになり、それぞれ1870年代半ばにドイツやオーストリアで演奏活動を行い大成功をおさめている。息子のリヒャルト(1869年 - 1921年)は父親の後を継ぎ、ピアニストおよびウィーン音楽院ピアノ科教授になった。

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

ユリウスエプシュタインのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ユリウスエプシュタインのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのユリウス・エプシュタイン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS