ヤンキース、アスレチックス、メッツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 08:40 UTC 版)
「ケニー・ロジャース (野球)」の記事における「ヤンキース、アスレチックス、メッツ」の解説
1996年にFAでニューヨーク・ヤンキースと4年総額2000万ドルで移籍した。シーズンは12勝8敗を記録し、防御率は4.68。ロジャースは初のポストシーズンとなった。4試合に登板し、防御率14.14で全くの期待外れとなったが、チームは18年ぶりにワールドシリーズを制覇した。 1997年は開幕から不調で5月27日から6月15日にかけての5試合の防御率は8.87。6月22日には4年ぶりにリリーフとして登板した。8月5日に先発に復帰したが、この年の成績は6勝7敗・防御率5.65と1993年に先発転向後最悪の成績となった。一度ケガを隠して先発登板したためジョー・トーリ監督の信頼を完全に失い、ポストシーズンでは登板機会がなかった。11月7日に1998年と1999年の年俸の半分をヤンキースが負担し、スコット・ブロシアスとのトレードでオークランド・アスレチックスへ移籍した。 1998年はチーム最多の16勝、防御率は3.17(リーグ3位)を記録し、8月20日には通算100勝を達成した。守備ではMLB最多の66補殺を記録し、ア・リーグでは1977年にジェリー・ガーヴィンが66補殺して以来の多さである。
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