モンテッソーリ教育の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 03:44 UTC 版)
「マリア・モンテッソーリ」の記事における「モンテッソーリ教育の誕生」の解説
1907年、障害児の治療教育で一通りの成果を挙げた感覚教育法を、マリアはローマの貧困家庭の子供たちに応用する機会を得る。ここにおいても知能向上で著しい結果を得、この方法をさらに追究するため、医師を辞め、ローマ大学に再入学した。 再入学したローマ大学では主に哲学を学び、その後、南フランス・アヴェロンで発見された野生児の教育に着手し、彼の観察と教育を行った感覚教育の先駆者であったジャン・イタールの著書の研究を進め、知的・発達障害者教育の先駆者エドゥアール・セガン医師に学んだ。さらに、生理学、精神医学の研究にも没頭。のちにモンテッソーリ教育と呼ばれる独自の幼児教育法を確立する。 教育熱心だったマリアの両親は彼女を「ぜひ教師に」と望んでいた。しかし、彼女は両親の反対を押し切ってイタリア初の女性医師となるも、結局、世界的な教育者となり、図らずも両親の願いをかなえたことになる。
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