モンケ・「カアン」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 03:20 UTC 版)
モンケはオゴダイが採用したものの、次代のグユクが用いなかった「カアン」( Qa'an/Qaγan, قاآن Qā'ān )という称号を再度復活させたと考えられている。モンケが発令し、華北の少林寺などに建立されたウイグル文字モンゴル語による聖旨碑などでは「モンケ・カン」(Möngke Qan(mwnkk' q'n))、同時代のペルシア語、アラビア語の歴史書にはグユクや祖父のチンギス・カンのようにモンケ・ハン( مونككا خان Mūnkkā Khān)とするものも見られる。しかし、モンケの宮廷を訪れフレグに扈従してイランに戻ったアター=マリク・ジュヴァイニーは『世界征服者史』において منگو قاآن(Mankū Qā'ān)と書き、ラシードゥッディーンの『集史』でも一部 مونككه خان (Mūnnka Khān)としている箇所もあるが、基本的に مونككه قاآن (Mūnkka Qā'ān)を用いており、「モンケ・カアン」と呼ばれている。これらのことから、モンケも治世の途中から「カアン」の称号を用い始めたのではないかと考えられる。
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