ザブハン川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/30 00:43 UTC 版)
ザブハン川 | |
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延長 | 670 km |
流域面積 | 71,000 km2 |
水源 | ハンガイ山脈 |
河口・合流先 | ヒャルガス湖 |
流域 | ![]() |
ザブハン川 (ザブハンがわ、Завхан голザブハン・ゴル) とは、ハンガイ山脈よりヒャルガス湖に流れ込むモンゴル国の河川である。長さは670km[1] 、流域面積は約 71,000 km2。流域の大部分はゴビ・アルタイ県とザブハン県の県境を流れる。
歴史
モンゴル帝国時代には第4代皇帝モンケ・カアンの一族の領地であったようで、『集史』クビライ・カアン紀には帝位継承戦争中にモンケの息子ウルン・タシュが「ザブハン・ムレン(جابقان موران/jābqān mūrān) と呼ばれる河川[2]」にいたとの記録がある[3]。
古くは査巴哈と記され、清代には札布噶河と音写されていた[4]。ザブハン川流域は17世紀以降ジューンガルとハルハが抗争する地域となっており、清軍のジューンガル遠征に従軍した方観承の記述には「ハルハの兵のザブハン川を守る者は、河魚を食料とし多くが病となった。ザブハンを訳して流沙と言った」との一節がある[5]。清朝が北モンゴルを完全に支配下に置くと、サイン・ノヤン部左翼中旗などの遊牧地とされた。
水系の構成
ヒャルガス湖を末端湖として、ハル湖、ハル・ウス湖などと一体の水系を構成している。
関連項目
脚注
参考文献
- 原著:張穆/訳者:須左嘉橘『改稿 蒙古遊牧記』開明堂出版部、1939年
- 村岡倫「モンケ・カアンの後裔たちとカラコルム」『モンゴル国現存モンゴル帝国・元朝碑文の研究』大阪国際大学、2013年
- ラシードゥッディーン『集史』(Jāmiʿ al-Tavārīkh)
- (校訂本) Muḥammad Rawshan & Muṣṭafá Mūsavī, Jāmiʿ al-Tavārīkh, (Tihrān, 1373 [1994 or 1995])
- (英訳) Thackston, W. M, Classical writings of the medieval Islamic world v.3, (London, 2012)
- (中訳) 余大鈞・周建奇訳『史集 第1巻第2分冊』商務印書館、1985年
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