ミラン (大型駆逐艦)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 07:57 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ミラン (Milan) はフランス海軍の艦艇。エーグル級大型駆逐艦。
艦歴
ロリアン海軍工廠で建造。1930年12月1日起工。1931年10月31日進水。1934年4月20日就役。公試時、「ミラン」は41.94ノットの速度を記録している。
ノルウェーでの戦い中の1940年4月、「ミラン」はノルウェーへ向かうFP1船団とFP2船団を護衛した。
1942年11月8日、連合国軍はモロッコとアルジェリアへの上陸を実行(トーチ作戦)。カサブランカ付近ではアメリカ海軍第34.1任務群(戦艦「マサチューセッツ」、重巡洋艦「ウィチタ」、「タスカルーサ」他)、第34.9任務群(重巡洋艦「オーガスタ」、軽巡洋艦「ブルックリン」他)、第34.2任務群 (空母「レンジャー」他)とフランス軍との間で戦闘(カサブランカ沖海戦)が生起した。
その日の朝、第11駆逐隊(大型駆逐艦「ミラン」、「アルバトロス」)と駆逐艦「ブーロネー」、「ブレストア」、「フグー」、「フロンデュール」、「ラルション」はカサブランカより出撃し、フェダラ沖の敵輸送船攻撃に向かった[1]。この部隊は「ミラン」に座乗するGervais de Lafond少将が率いた[2]。フェダラ沖には第34.9任務群がいた[2]。
F4F ワイルドキャットの機銃掃射を受けて「ブーロネー」が脱落し「ミラン」でもGervais de Lafondが負傷するなどの被害が出るも、アメリカ駆逐艦「ウィルクス」、「スワンソン」、「ラドロー」を発見して8時25分に第11駆逐値は砲撃を開始した[2]。8時30分、「ミラン」は上陸用舟艇を攻撃し、1隻を沈めた[2]。フランス駆逐艦に対してアメリカ巡洋艦「オーガスタ」、「ブルックリン」が迎撃に動き、「オーガスタ」接近を見てGervais de Lafondは戦艦「ジャン・バール」やEl Hank砲台の射程内へと誘引すべく部隊を反転させた[2]。しかし、信号不達より第2水雷隊(「フグー」、「フロンデュール」、「ラルション」)はそれに追従しなかった。9時15分、遅れて出撃してきた巡洋艦「プリモゲ」が第11駆逐隊と合流[2]。Gervais de Lafondは部隊を再反転させた[2]。一方、戦艦「マサチューセッツ」以下も戦闘に加わり始めた[3]。フェダラ沖で駆逐艦と交戦し、また9時40分に「プリモゲ」は反転した[4]。9時56分、南西に向かっていた「ミラン」に16インチ砲弾が命中[4]。さらに、それより小口径の砲弾2発も命中した[5]。「ミラン」は炎上し、漂流してRoches Noiresで座礁した[6]。「ミラン」では31名が死亡した[5]。
1946年に浮揚され解体。
参考文献
- M.J.ホイットレー、『第二次大戦駆逐艦総覧』、岩重多四郎 訳、大日本絵画、2000年、ISBN 4-499-22710-0
- Vincent P. O'Hara, The U.S. Nvay against the Axis, Naval Institute Press, 2007, ISBN 978-1-59114-650-6
- Jurgen Rohwer, Chronology of the War at Sea 1939-1945, Naval institute press, 2005, ISBN 1-59114-119-2
- Vincent P. O'Hara, Torch: North Africa and the Allied Path to Victory, Naval Institute Press, 2015
- John Jordan, Jean Moulin, French Destroyers: Torpilleurs d'Escadre & Contre-Torpilleurs 1922-1956, Seaforth Publishing, 2015
脚注
- ^ French Destroyers, THE PERIOD 1939–1943, THE ALLIED LANDINGS IN NORTH AFRICA, Torch, French Order of Battle, North Africa, 8 November 1942
- ^ a b c d e f g Torch, THE NAVAL BATTLE OF CASABLANCA, The 2nd Light Squadron Sorties: 0815
- ^ Torch, THE NAVAL BATTLE OF CASABLANCA, Enter Task Group 34.1: 0918–0940
- ^ a b Torch, THE NAVAL BATTLE OF CASABLANCA, 0940–1000
- ^ a b French Destroyers, THE PERIOD 1939–1943, THE ALLIED LANDINGS IN NORTH AFRICA
- ^ French Destroyers, THE PERIOD 1939–1943, THE ALLIED LANDINGS IN NORTH AFRICA, Torch, THE NAVAL BATTLE OF CASABLANCA, 0940–1000
「ミラン (大型駆逐艦)」の例文・使い方・用例・文例
- 次にボンドはザオを追ってロンドンへ向かい,そこでダイヤモンド王グスタフ・グレーヴス(トビー・スティーヴンス)と広報係のミランダ・フロスト(ロザムンド・パイク)と対面する。
- 中田選手が加わるかもしれないクラブチームには,イングランド・プレミアリーグのチェルシー,セリエAのACミラン,フランスのオリンピック・マルセイユがある。
- 彼には別居中の妻マリー・アン(ミランダ・オットー)との間に2人の子ども,ロビー(ジャスティン・チャットウィン)とレイチェル(ダコタ・ファニング)がいる。
- 編集長のミランダ・プリーストリー(メリル・ストリープ)は世界一気難しく厳しい上司なのだ。
- ミランダはすべてにおいて完(かん)璧(ぺき)を要求する。
- まもなく,アンディはミランダが驚くほどおしゃれで有能なアシスタントに変身する。
- 1999年には,ACミランを指揮し,イタリアのセリエAでの優勝に導いた。
- 世界の強豪サッカークラブであるイタリアのACミランが4月,愛知県小(こ)牧(まき)市にサッカースクールを開校する。
- 「ACミランサッカースクール愛知」は,同クラブにとってイタリア国外で12校目,日本では初のサッカースクールである。
- スクール開催を申し出たいくつかの市や町の中からACミランが小牧市を選んだ理由は,小牧市には充実した競技施設があるからだ。
- ACミランを小牧市に誘致した「地球子ども村」という名称の団体がこのサッカースクールを運営する。
- ACミランの役員で元イタリア代表のフランコ・バレージ氏は記者会見で,「ヨーロッパのチームに入団する日本人サッカー選手はどんどん増えている。日本サッカーの発展を手助けしたい。」と語った。
- ACミランは,インテル・ミラノの長(なが)友(とも)佑(ゆう)都(と)選手に続くような優れたサッカー選手を育成したい考えだ。
- 本田圭(けい)佑(すけ)選手がACミランに入団
- 1月8日,イタリアのサッカーリーグ,セリエAのACミランがチームの最新メンバーである本田圭(けい)佑(すけ)選手を報道陣に公式紹介した。
- 本田選手はACミランと3年半の契約を結んだ。
- 彼はCSKAとの契約が昨年末に満了した後にACミランに加入したのだ。
- ACミランはヨーロッパで最も成功を収めているサッカークラブの1つとして知られている。
- イタリアの新聞「ガゼッタ・デロ・スポルト」は,この日本人選手はミランに新たな熱をもたらすだろうと書いた。
- ロシア紙の「ソビエト・スポーツ」は,ACミランが今季低迷していることを述べ,CSKAモスクワからの本田選手の移籍はミランのサポーターにとって天からの贈り物だと書いた。
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