ミッキー・ウォードとの死闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 13:24 UTC 版)
「アルツロ・ガッティ」の記事における「ミッキー・ウォードとの死闘」の解説
アルツロ・ガッティの試合は壮絶な殴り合いとなる試合が多い。中でも、アイルランド人ボクサー、ミッキー・ウォードとの3連戦はボクシング史に残る記念碑的シリーズとされている。ウォードもガッティに負けじ劣らずのファイティングスピリットに溢れた選手だったため、ポイント争いを無視した激しい打ち合いになり、両者血まみれの顔で終始意地と本能で打ち合う試合となった。初戦は2002年5月18日で10回判定でウォードの勝利、リターンマッチは2002年11月23日で10回判定でガッティが勝利した。これらの試合はノンタイトルにもかかわらず、年間ベストマッチに挙げるファンが多数いたほどの名勝負となったため、2003年6月7日にラバーマッチが組まれることになった。3戦目も前2戦に劣らぬ打ち合いとなり、10回判定でガッティが勝利した。 特筆すべきは3戦ともノンタイトル戦でありながら、この両者の3戦をベストマッチに選ぶファンが多かったという点である。特に第3戦などはこのノンタイトル戦がメインイベントの興行になり、チケットが入手困難になったという。 また、この両者は3回の激闘を通じて友人になった。激闘の後遺症でウォードは視界が二重に見えるダブルヴィジョンの症状を患ったが、その治療のための資金を拠出したのはガッティであった。ウォードは引退後はガッティのトレーナー、スパーリング・パートナー役を買って出た。
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